附天は、良い大学へ行くために高校へ行こうという人には正直向かないと思います。
センター60日前まで生徒企画のバリバリにハードな行事をやるような学校ですので。
附天の持ち味は、全ての行事を生徒が自主的に企画進行していくことから分かるように、生徒一人ひとりの質が高い事にあると思います。
課題も問題集よりレポートや発表が多いので、生徒の自主性自己発信能力が育ちます。
現役で良い大学へ行くというよりも、もっと先の、社会へ出た時に大きな力を得る事ができる学校です。
※附天と池田は同レベルですが、池田の方が勉強に対してギラギラしているイメージがあります。本当にただの私見でしかないですが。平野はよくわかりませんが、中学時代の三附中交歓会の印象では少し派手な人が多い印象でした。しかしこれも私見ですし、正直学年によると思います。附天のレベルも学年によりますし。
受験勉強なんて浪人してやればいいでしょ?高校にいる間はそこでしかできないことをするべき!という雰囲気が昔は漂っていましたね、いまもそうなのかな。でも昔は全体の1/4は医学部に進み、1/4は現役で東大京大阪大神大にすすみましたね。
予備校みたいな高校がいっぱい増えている昨今、どうしても進学実績にとらわれるのは受験生にとってはしょうがないと思うのである意味進学実績が伸び悩むのはやむを得ないとも思います。でも大学なんて、ある意味どこでもよくて、入ってからが勝負なのでね。理系なら大学院の入試で東大でも京大でも好きなところに行けばいいんです。大学4年間を真面目に目標を持って過ごせばそんなの簡単ですよ。そのことを知らない受験生はちょっとかわいそうだなと思います。
同程度の知的な資質を持った二人の中学生がいるとします。一人は、受験勉強をびしばし鍛える進学校に行き、現役で東大か京大、あるいは国公立医学部に入ったとします。そのかわり、高校時代の思い出は、3年間勉強漬けだったというだけ。もう一人は、附天に進学して、3年間楽しい天国のような高校生活を送りました。その代わり、現役では関関同立レベル、一浪してようやく旧官立大か早慶。どっちを選ぶか、というのは、けっきょく本人と親の価値観の問題でしょうね。どっちが正しいとか優れているということではない。
ただ、「でも大学なんて、ある意味どこでもよくて、入ってからが勝負なのでね。理系なら大学院の入試で東大でも京大でも好きなところに行けばいいんです。」というのは、そうあるべき建前であって、現実の社会的評価はそうでもない。それほどレベルの高くない大学から、東大や京大の大学院に進学するのは「学歴ロンダリング」と呼ばれて、やや低く見られるところがある。特に最近は文科省の強引な大学院拡充政策のせいで、大学院の方が学部(学士課程)より入りやすくなっているから、大学院から東大や京大に入ったからといって、学部から入学したほどは評価されなくなっている。
高校時代3年間わき目も振らず必死に勉強したとしたら、それはそれで高校生活の一つの姿(これがすべてとか、これだけが正しいというつもりはない)であって、否定すべきものでもない。必死に勉強したということも、そのときはしんどいけど、あとになるときっと良い思い出になる。これはわたしがアメリカの大学院で死ぬ思いで勉強した経験からの話ね。
受験を希望している子供がいます。
厳しい進学校に行った子でも全員東大・京大に行くはずがないでしょう。浪人する子もいるし、勉強しない子だって。部活や行事に充実した学生生活を送った子だっていると思います。
この学校はだれもが「3年間楽しい天国のような高校生活」を送り勉強が二の次になっているのですか?やる子はやるだろうし要は自分次第で、それはどの学校に行っても同じだと思っています。
転校でもしない限り2つの高校に行くことはできません。進学校であろうがなかろうが卒業する時に本人が入ってよかったと思える学校ならそれでいいと思います。親や第三者ではなく本人しかわからないことです。
どの高校でも個人によって違うのは当たり前です。
もともと「同程度の知的な資質を持った二人の中学生がいるとします。」という前提をおいています。その上で、その学校の「校風」が生徒に与える傾向のたとえ話をしたつもりです。
「進学校であろうがなかろうが卒業する時に本人が入ってよかったと思える学校ならそれでいいと思います。親や第三者ではなく本人しかわからないことです。」卒業する時に本人が入ってよかった学校だと思えるかどうか、入学前にわかることですか? 「人は未来に知ることを事前に知ることは出来ない」のです。
院試で学歴ロンダリングのお話がありましたが、正直私は東大で教える立場です。でも、そうやって入ってきた学生の一部には確かに「ああ、学歴がほしかったのかな」と思える人もいますが、実際大学院に目的を持って入ってきてそこで実力を発揮してくれれば当たり前ですがどこの大学だったかなど無関係に評価されます。論文には今の所属しか書く欄はありません。
たしかに東大に東大生としてきた学生のほうがやや粒はそろっていて、外部から院試を経てきた人は「バラつき」がありますが、それを持って低く見られるとかそういうことはないです。あくまで実力でのみ評価します。4年間しっかり勉強して、さらに勉強を違う場所でしたいと願って入ってくる学生さんは、まず100%しっかりやれます。その後アカデミックに進むか就職をするか、どちらでも大成しますね。
高校3年間を勉強しまくることは全く否定していません。私が言いたいのはその逆なんです。勉強しまくることで失われるものもあります。そのどちらを優先したいか、それとも歯を食いしばって両立を頑張るか、それはすべて個人の自由です。
是非意志をもって頑張ってもらいたい。同時に、頂上に向かう道は一本ではなく、一番自分にとって良いルートは何なのかをよく見極めてほしいですね。そのいろんなルートを示してくれる、貴重な存在の学校が附属天王寺なのですよ。私は附属で本当に良かったと思っています。
なんか相手の書いていることを読んでいるようで読んでないんだな。多少力点が違うだけで、同じようなことを言っている。
理系で研究者になるならともかく,文系で学部卒で企業に就職するなら,大学のブランドはいまでも大事だよ。就活の苦労がぜんぜん違う。もっと極端な言い方をすれば,入れる会社が違う。
正社員で企業に入ってしまえば社内では出身大学は(慶應以外は)関係なくなるけどね。
でも今度は,社会的にはその社名で人物が評価されてしまう。それが良いことだとはもちろん思っていないけど。