内緒さま
さて話を進めるにあたり、もう一度最初のご質問に戻って考えてみよう。
甲南高校から鹿児島
大学医学部は行けますか?
母校から、鹿児島
大学医学部へは必ず行ける。君たちの三年間の授業で、基礎学力はほぼ身に着けておられるからだ。あとは最後の一年でプラスアルファの高度受験学習を如何に要領よく効果的に仕上げるかにある。
鹿大医学部医学科の共通テストの合格ラインは850点ほどであろうか、
二次試験では、東大や京大、他大都会の難関
大学で課されるような難問奇問は少なく、標準的な応用問題が多い。解りやすく言えば、母校で使用される参考書、問題集、補習プリント、提携し君たちが使用している予備校や通信教育の標準問題集を手や口からスラスラと解法が出てくるほどに記憶マスターしておけば、小生や息子がそうであったように、甲南高校の生徒さんなら全員が9割以上獲得することが出来ると考える。最近の国立医学部は、
小論文や
面接試験を追加して、理数
英語の基礎的な学力の完全な習熟を求める試験の他に、医師としての人間性を試す問題を課す
大学が増えてきた。小生は、息子が受験で使用していた、全国
小論文問題模範解答集という本を熟読してみたが、問題の内容は素直な自然体で、学生に豊かな教養や良識的な考え方を求める問題がほとんどであった。普段より新聞やnetの社会的な文章を読んでいたり、時にはご両親や友人たちと社会問題で意見を交わしたり、先にも述べたが学習教科事典を辞書のみならず愛読書として利用し教養を深めるなどの普段の心がけがあれば、特別な訓練をせずとも自ずと対応できるようになると思う。
つづく
今宵の最後に、母校の補習授業について自分の考えを述べておこうと思う。鶴丸高校の掲示板では、東大や京大を現役で入学ご卒業された超優秀なOB先生方が、補習授業に反対するご意見を理路整然と述べておられる。実は神戸市の六年一貫中高で育った小生の妻や、灘高校から神戸大医学部に現役合格した義兄も、補習授業には反対している。そもそも灘高校には補習授業なるものはない。このことについては、いずれ別の機会に書くことにするが、俺は補習そのものに明確な反対はしないが、補習プリントが生徒さんの手かせ足かせになることには明確に反対する。自身の経験からだが、三年生になるとトップクラスの有馬秀一先生は、あらかじめ解りやすい解答解説を小生らに手渡し補習プリントを自己学習できるようにご配慮下さっていた。そのおかげさまで俺は、受験参考書、受験問題集、補習プリントのどの学習にも無駄な時間を使うことがなく大学受験のその日まで合理的に両立させることができたのである。教師のなかには、この時期になっても解説解答集を生徒に渡さず、自分で解くことを強要し出来ない生徒を激しくしかりつけてから解答を渡すという意地悪な先生もおられたが、鶴丸高校にはどうやらそのような精神主義の先生方が今も多いようなのだ。(有馬先生には、本当に心から感謝している。)補習プリントを利用しようとすまいと、大事なのは、受験時期はいっさいの無駄を省き、大切な情報をまとめあげてゆく科学性と合理性であろう。無駄な精神主義は不要である。
内緒さま
さて貴殿が母校で、猛勉強し文理系合わせて学年全体で十位以内の成績を維持されていたとする。2年生末で、教科書やチャート式レベルの参考書や問題集、先生方からあてがわれた補習プリントも満遍なくこなし、さてさて鹿大医学部医学科を受験したいが、どのようにまとめていこうかとヤル気満々になられている状況で小生から君にアドバイスしておきたいことがある。高校3年では、おそらく三回ほど校内実力
模擬試験と、4−5回ほどの対外
模試を受けることになろうと思うが、校内
模試では上位十番内、それ以上に対外
模試で、すべてA判定を取ることが一番確実な基準になると思うのだ。昭和の大昔のお話で申し訳ないのだが、受験進路を決めるにあたり当時の教師達は、難関を受ける受験基準を次のように決められていた。最終校内実力
模試にて上位十位以内に入る高得点を取ること、最終三回の全国統一
模擬試験で受験希望する
大学において、すべてA判定を取ること、この基準を満たすことが出来れば無条件で希望大学を受験することが出来た。結論から言うと、東大、京大、阪大、九大、国立医学部すべてにおいて上記基準を満たした生徒さんらは、ほぼ全員希望難関大学に合格されていた記憶が、俺は今でも鮮明に頭に残っている。一度でもB判定を受け基準を満たせなかった生徒さんらは、先生の反対を押し切って受験しても不合格になる生徒が多かった。当時の文系では、上位1番から7番までの生徒さんらは、B判定が多く、すべて、東大、京大に不合格していた。(理系上位からは、A判定の3名が全員東大理系に現役合格されていた。)
さて時代が変わり、超優秀で実力のある
家庭教師との二人三脚で、ビリ穴から学内成績を上げ、どうやら某帝国
大学医学部を目指すことになった小生の息子にも、この事実については次のように教えていた。(対外
模試や全国統一
模擬試験はオリンピックや国際音楽コンクールで言えば、世界選手権や予選のようなものなので、受験希望
大学についてはすべてA判定を取ることが、確実な合格への道につながる)と。最終学年では、わき目もふらず猛然と受験勉強に励んでいたようであるが、どうやら、すべての対外
模試で東大理系と地方帝大医学部では優秀評価を受け、希望の国立医学部に現役合格することが出来た。これでお解かり頂けたと思うのだが、高3の対外
模試、全国統一
模試で希望受験
大学(鹿大医学部医学科)で、すべて優秀判定を取ることが確実な合格基準となり得ることをご理解いただきたい。受験赤本などで、傾向と対策を学ぶことも大事ではあるが、まずは受験のための基礎学力を徹底的に磨いておくことである。対外
模試は、自分の実力を知るための一番大事な試金石の一つであると小生は今でも信じている。乱筆乱文申し訳ないがご参考までに。
俺が高校2年のころ、1978年頃、実際起こった事件だが、開成高校と東京の野球名門校が夏の高校野球の予選で戦っている最中、点差で負けていた開成の応援団、および全校生徒が、相手高校に対して、(ば、か!ば、か!おち、こぼれ!悔しかったら東大に来い!)と罵、倒と野、次を際限なく繰り返したことが、テレビや新聞でも話題になり、世間の猛批判を浴びていた。しかるに開成高校からは明確な謝罪の言葉はなく小生も国立大学希望受験生のひとりとして気持ちの悪かったことを今でも鮮明に覚えている。
当時の開成高校のほとんどの生徒らは、現役で東大に進学し、その大多数が現在の政治家や官僚や大手企業の役員幹部等に就任されているのであろう。そして現代世界に類を見ないと言われる宇宙的規模の格差社会をこの国につくっていることを考えると、彼らの幼いころからの危険な格差思想が、今の社、会悪の根源になっていることを、つくづくと感じ覚えざるをえないのである。
そして推薦入学さえ可能になった今の東大に、社会的な出世は別として、進学する価値がホントにあるのか疑わしく思うことがある。臨床医としてお仕事するならば、鹿大医学部卒でも十分に好きな研究や臨床のお仕事をさせてもらえる機会はある。教授になるにも帝国大学を卒業せずとも地方国立で十分に
任官できる時代でもあるのだ。
もちろん頭が良くて、経済的にも十分に恵まれた環境があれば、行ける御立場にある生徒さんらは東大を目指して欲しいし、願わくは、少数でも鶴丸や甲南から東大に進学された生徒さんらが、現代の絶、望社会の格差の壁に大きな穴をあけて欲しいとも思う。だが成績が良くても行ける環境にない生徒にとっては、九大や地方国立医学部を目標にする方が、勉学しやすいのではないかと国立医学部卒の俺と俺の息子は考えている。
鶴丸も甲南も、受験教育カリキュラムの改善は常に為されるべきものであろう。だが東大進学数で進学校の価値を競う考え方は、少々時代にそぐわないのではないだろうか?京都大学や大阪大学を頂点に考える発想もあるのではないだろうか?九大の進学数や地方国立医学部進学数、あるいは地方国公立現役合格数の上昇を目指すことも価値があるのではないだろうか?
柔軟な発想の転換が求められる時代でもありそうだ。
内緒さま
netの出現で、世界の様々な情報を、過去の出来事でさえ現在進行形で見ることのできる時代になった。netは、利用の仕方によっては学習百科事典以上に教養を高めることのできる知識の宝庫だ。俺は今、妻の勧めでロシアのユリアンナアヴデエワという美人の女流ピアニストが2010年のショパンピアノコンクールに最優秀賞を勝ち得た時のファイナル演奏ショパンピアノ協奏曲1番を聴いている。妻に強いられながら、この曲は、アルゲリッチ、キーシン、ルビンシュタイン、ブニアシティビリ、中村紘子等々、世界に名だたる演奏家たちの名演を、繰り返し繰り返し楽しみながら聴いていた。繰り返し聴くうちに脳裏に旋律が入り込んでしまい、ついでに言うならば演奏を聴いただけでどのピアニストが弾いているのかも解るようになった。妻から学んだピアノ演奏歴史学を合わせると、ショパン演奏の価値観は、1983年にロシアのわずか12歳の愛らしい美少年エフゲニーキーシンの弾いたピアノコンチェルトの超絶技巧の演奏が、ショパンコンクール登竜門の規範になっている気がする。12歳でここまでの完成度を究めたピアニストは、おそらく人類史上キーシン以外には現れていないからだ。(鶴丸校の掲示板でも書いたが興味ある学生さんは、キーシン、ショパンピアノ協奏曲1番と検索すれば、モスクワ交響楽団と演奏する12歳の美少年キーシンの演奏が聴ける。また現在の巨匠となったキーシンの、リヒテルと並ぶ豪華絢爛な演奏も聴くことが出来る。是非御鑑賞くださればと願う。)ピアノの全然弾けない俺も、ここまでのピアノ演奏を聴き続けると、俺も一からお勉強すればショパンが弾けるようになるんじゃないか、バイエルからやってみたいものだ。とショパンの幻想即興曲やリストのカンパネラを容易にこなす妻と息子を羨むことがあるのだ。つまらぬ戯言はこのくらいにして、勉学に環境は大事だと思う。妻のような芸術に教養豊かな母親に育てられたら、どんな子供さんも音楽や美術が好きになるだろう。ピアノや油絵を習いたいと思うようになるだろう。繰り返し繰り返し絵や音楽を目に耳に焼き付けることでルノワールの絵を自分で再現してみたり、ショパンの曲も弾けるようになるだろう。勉学も同じであるが、好きこそものの上手なれ、読書百編意おのずから通ずというのは、ホントにその通りだと還暦を過ぎた今心の底からそのように感じている。医学部への挑戦を勉め強いられる地獄と考えるのではなく、繰り返し繰り返し参考書、問題集、シラバス、
過去問を解きながら、目をつぶっても手でスラスラと解答できるほどに熟達し、次の試験で上位判定を獲得することをゲームのように考えると勉学も意外に楽しいことではないのだろうか。母校の先生方が教えられる教材の価値を信じて、受験戦争を戦う優秀な受験戦士なることを目標に、勉学の旅を続ける自分の姿を想像しながら前向きに学び続けることは、若い君たちの将来を飛躍的に高めてくれる。他人が何を言おうとも、自分の価値を決めるのは自身の努力だけである。俺も頭は相当に悪いが努力だけで医学部を乗り越えた。おそらく今の超難関の医学部でも、俺の超がり勉があれば乗り越えられると実は俺は今でも信じているのだ。すべてはがり勉あるのみ。お馬鹿にされても良いが、参考までにご一読くだされ。
内緒さま
甲南高校から鹿児島
大学医学部は行けますか?
今宵は、この質問に対してもう一つ踏み込んだ解答をしたいと思う。昭和平成の初期には、文系から国立医学部医学科に現役入学された優秀な生徒さんらもおられたということ。母校の出世頭の御一人でもあるので、実名を出しても構わないと思う。現在、久留米
大学医学部精神科の准教授で、国際的にもご活躍されておられる名医として著名な内野俊郎先生は、母校文系から佐賀大学医学部に現役進学ご卒業された英才の御一人である。当時の佐賀大学は、佐賀医科大学と呼ばれ単科医科大学であったが、二次試験は文理系合わせた
小論文総合問題であった。センター試験9割以上および
小論文二次試験でも首席に近い高得点を取られ入学されている。高校時代には物理化学で理系単位を取得していなかったため、
大学では勉学に少々ご苦労されたようだが、甲南時代の猛勉学でなんなく乗り切り、医師国家資格取得後は、精神医学の第一人者の御一人として大成されておられる。このようなユニークな進路を取られる生徒さんは、ラサールや鶴丸よりもむしろ甲南に多い。医学部ではないが、芸術の世界では大河ドラマ篤姫のテーマソングのひとつ、篤姫紀行の篠笛音楽を作曲されておられる吉峰先生、指揮者の下野達也先生らの世界的なご活躍については、母校生徒の皆様もご存じのことであろう。母校に、独創的な生き方を切り開く先輩方の多いのは、他人との競争に捕らわれず既成の価値観を離れて自分の信念や想いを大切にしつつ未来を考える御方が多いからだろうと考える。ちなみに吉峰先生は東京学芸大学、下野先生は鹿大教育学部音楽科出身であるから、今の時代で言う超名門大学ではないが、名門を出られた大物芸術家たちにひけを取らぬご活躍ぶりだ。
今宵はこのくらいにするが、母校の教育が単に受験技術を教えるのみならず、長い人生の生涯教育を想定した自己学習の基本を教えている意味で、母校には西郷大久保に続く永い永い良き伝統が根付いていると考えて良いのではないだろうか?小生は、しがない街医者ではあるが、還暦を過ぎた今でも甲南高校に学んだことを幸せであったと心の底から感じ考えている。
内緒さま
今年の母校の進路状況についての正確な情報が、ホームページ欄に掲載されている。一目読んだ小生の第一印象は(さすが甲南!)という一言に尽きる。国立医学部合格者は、小生の知り得る限り初めてであるが、浜松医科大学であった。元新設医大とは言え、都会の難関名門、甲南もここまで来るようになったかと、たとえ一名の合格者でも、大したものだと感無量の気持ちを禁じ得なかった。九大の現役合格者数が10名ほど減ってはいるが、その分、筑波大1名、東大1名、東工大1名、千葉大1名、大阪大5名、神戸大2名、広島大15名と、都会難関への現役合格者数を(九大が減らした分)増やしている。新型コロナも開けて、母校の生徒さん方も、いささか都会志向になられたのだと想像した。この掲示板で詳細を書いているので理由は言わないが、彼ら都会難関に現役合格されておられる生徒さんらは、もし望まれるなら鹿大レベルの国立医学部であれば、受験されたなら現役で受かる可能性は極めて高かったと思う。まあ医者になるばかりが能ではないし、俺のような、しがない街医者なら別になる必要も興味もないと思われる優等生も甲南には多数おられると思う。これら帝大クラス合格者が50名もおられるだけで十分なのだ。医学部に行くか否かは、人それぞれの好みの問題であろう。また、難関および中堅国公立すべてを合わせた現役合格数は244名と、過去三年では最高数であり、現役合格率においては80%越え、おそらく日本一であろう。日本の最南端の県から、高度資本主義の超格差社会のなかで、俺のような極貧家庭の生徒さんらも多い母校が、絶望的な逆境の環境にありながら、これだけの頑張りと成果を見せつけてくれれば母校卒業生として、これほど嬉しいことはない。国公立、有名私立に現役進学されていく、ほとんどすべての生徒さん方には、どうか世の中に出られても甲南で学んだ学問の精神と高度の学習技術を武器に、大いに羽ばたかれていただきたいと祈願している。