皆さん、母校って大切に思うじゃないですか。
在校生の親にしても自分の子供が通っている、あるいは通った高校はとても大切に思っています。
ましてやガオカや修猷といった誇れる高校に入学でき学べる事はとても嬉しい。
ふと思うんです…もしこの指導の実態が世に今出てしまったらどう思われるのか?
今の時代に世間に受け入れられるとは思いがたい…
違う意味で名が全国に知れ渡ることになったりしたら…と思うと嫌だと思いませんか?
それでこの指導が終わるより在校生たちの意思という形で終わりを迎えたほうが良いと思うのです。
在校生の皆さん、保護者の皆さん、仰ることはよくわかります。確かに理不尽、時代錯誤、現代ではパワハラととられかねないものかもしれません。ただ、黒團の皆さんがどのような思いで取り組んでいるか考えたことはあるでしょうか?彼らなりに、歴史や伝統を絶やさぬようにと努力しているのではないでしょうか?ここにいる方々は指導「される側」のことしか考えていないように思います。まず、高校生にもなって保護者が子供達のことに口を出すのは論外です。子供が言うことを全て鵜呑みにするのは流石に情報リテラシーが無さすぎませんか?次に、在校生。自分たちの学年の黒團の人たちの最後のフィナーレを見れば、聡いあなたたちであればきっとわかります。彼らは母校のために3年間の青春をかけてあの場に立ちます。私は同学年の黒團の人たちのことは今でも尊敬しています。黒團の努力が否定されているのを黙って見ているのが辛くてコメントしました。長文失礼しました。もし見ていれば、現役の黒團員の皆さん、あなたたちが後輩で本当によかった。今の時代、黒團を続けようと思うことは簡単じゃなかったはずです。でもきっとその選択は間違えてません。応援している人は私含めたくさんいます。匿名の心ない言葉に振り回されず、これまでの黒團が守ってきた歴史を引き継いでいってください。
やたらとハラスメントという言葉を使い、嫌な経験を悪とし経験を排除していくことばかり考えるより、時には違う視点から見て考えて経験することも大事なのでは。終わってみて良さが見えた人もいる。
学校も組織の一つ。
学校も会社も、その方針やルール、慣習が嫌なら去ればいいだけのこと。
今の時代は終身雇用ではないんだから、学校も我慢して続けなくていいんじゃない?
在校生の皆さんのコメントを興味深く読ませていただきました。
10年前に筑紫丘を卒業して、都内の大学を卒業して現在は海外の会社で働いております。学生時代、明らかに時代錯誤の校歌指導や異質な伝統に違和感を持ちつつも、教師を含めて周りがそれを受け入れていたので、何も声を上げずに割り切っていました。しかし私を含む卒業生や在校生の皆様が感じた不快感は、
ハラスメントに 歴史や伝統といった理由で例外が認められることはないと思います
今の時代 体育界系の部活でも 昔のようなバカげた上下関係は無くなっているようです
私はこの高校の卒業生です。在学中は、特に一年生の時はコロナも蔓延しておらず、アリーナに1学年全員がぎゅうぎゅうに詰められて罵声を浴びせられ怒鳴られ泣き出す子もいました。しかし今となってはそれはとてもいい思い出です。筑紫丘に入ってこの校歌を歌えたことを誇りに思っています。私たちの次の代からコロナの影響で校歌指導がなく、後輩達みんなが校歌を知らない歌えないと言っているのを聞いてとても悲しく思いました。校歌指導されている時はこんなの早くやめてほしいなど思っていましたが、お陰で精神も強くなり筑高生としての自覚も持てました。
黒團の努力は良く理解できます(團員の知り合いと色々話したことがあるので)。彼らのひたむきな頑張りは尊重されるべきです。
私はガオカを卒業して何年も経ちますが、いまだに校歌指導が人生の役に立ったとは思えていません。「いい思い出」にはなりませんでした。
在学中は「いつかはこの経験が役立つのかもしれない」という可能性を捨てきれず、反対の声を上げられませんでした・・・弱い人間です。校歌指導やフィナーレ指導は、一貫して苦痛でした。
校歌指導でいい影響を受ける人ももちろんいるのですが、一方でトラウマのようになってしまう人も当然いる、そのことを学校側に認識してもらいたいです。
過去にも騒がれてきた理不尽な指導方式・校歌や応援第一号第二号の覚え方など、改善すべき点は多々あります。
私は「恫喝のない和気あいあいとした雰囲気と、規律・緊張感のある風土」が両立した組織を見たことがあります。正直感動しました。
わざわざ声を荒げなくとも、皆で何かを成し遂げたり、頑張ったりできると思うのです。
学校側(応援団側)は校歌指導や、運動会練習における厳しいフィナーレ指導の目的・意義を、生徒が納得いくように説明すべきです。(目的をちゃんと共有・理解しておかないと、皆で同じ方向を向いて取り組めないじゃないですか)
もし校歌指導の是非を問うアンケートなり署名なりがあったときには、OBとして協力します。
私が過去経験したような校歌指導が今も続いているのなら、それを保護者が見たら引くと思います。
堂々と保護者や外部の人に公開できないことを続けていいのか、どうしても疑問に思ってしまうのです。
最近西日本新聞がけっこうこの手の話題を取り上げていて、最近は厳しい指導に関する座談会も開いたみたいです。
時代は動いていくと思います。
他人の言葉を借りる形になるのですが、「理不尽に耐える力より理不尽を是正する勇気のほうが100億倍大事」です。
在校生の皆さんがよき学びをたくさん得られることを祈っています。