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早稲田大学高等学院のWiki
早稲田大学高等学院 ナビランク(52位/5677校中)
基本情報
date:2021-05
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colspan="2" 早稲田大学早稲田高等学院(旧制)
-
創立
1920年
-
所在地
東京府東京市牛込区
-
初代学院長
中島半次郎
-
廃止
1949年
-
後身校
早稲田大学。校地は'''早稲田大学高等学院'''として継承。
-
同窓会
https://wasedash.jp
Infobox 日本の学校
校名:早稲田大学高等学院・中学部
過去校名:東京専門学校高等予科
早稲田大学高等予科(前身)
早稲田大学附属早稲田高等学院
第一・第二早稲田高等学院
国公私立:私立学校
設置者:学校法人早稲田大学
設立年月日:1920年(大正9年)4月(旧制大学予科開校)
1949年(新制高等学校開校)
創立者:大隈重信(東京専門学校創立者)
共学・別学:男女別学(男子校)
中高大一貫教育:併設型(外部混合有)
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:13561F
郵便番号:177-0044
所在地:東京都練馬区上石神井3丁目31番1号
緯度度:35 緯度分:43 緯度秒:57.36
経度度:139 経度分:35 経度秒:34.12
公式サイト:早稲田大学 高等学院
早稲田大学 高等学院 中学部

'''早稲田大学高等学院・中学部'''(わせだだいがく こうとうがくいん・ちゅうがくぶ、Waseda University Junior and Senior High School)は、東京都練馬区上石神井三丁目に所在し、中高大一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校において入学者を募集する併設混合型中高一貫校。

前身は、1899年開設の東京専門学校高等予科である。設置者は学校法人早稲田大学。略称は'''「早大学院」「学院」「早高院」'''など。また一部の学外関係者からは、高等学院と同様早稲田大学の附属校である早稲田大学本庄高等学院と区別する意味で、'''「石神井」'''と呼ばれることもある。高等学院では、生徒達は「学院生」と呼ばれ、正式な書類や掲示など様々な場面でもこの通称が使われている。

本項では1920年から1949年まで存在していた'''旧制早稲田大学早稲田高等学院'''(きゅうせいわせだだいがくわせだこうとうがくいん)についても述べる。

成り立ち

早稲田大学直属の附属校として設置された最初の学校である。

設立の源流は、早稲田大学の前身東京専門学校の時代に置かれた予科にまで遡る。最初に置かれていた予科は、本科入学希望者への1年の予備教育であり(1883年 - 1886年)、2年後新規に設置された予科は高等小学校卒業者を対象に募集したが、折悪く大隈重信が爆弾テロに遭うなどの諸事情で学校の運営に支障が出たことで、学校再建策の一環で廃止されている(1888年 - 1891年)。1899年に誕生した、中等学校卒業者を対象とする高等予科をもって、現在の高等学院の前身とみることができよう。1902年には東京専門学校が「早稲田大学」に改称、1908年には理工科(現:理工学部)設置とともに、理科の高等予科も開かれた。

1920年、早稲田大学の大学令による大学昇格に伴い、高等予科も大学予科としての内容の充実が図られ、「早稲田大学早稲田高等学院」と改められた(現在の早稲田大学戸山キャンパス内)。1922年より高等学院を中学校4年修了者対象の第一高等学院(戸山、3年制)と中学校卒業者対象の第二高等学院(大学構内、2年制)に分離し、戦後の学制改革まで2校体制を維持した。戦前期、早稲田大学の学部に入学するには、中等教育終了後、第一・第二いずれかの高等学院で予備教育を受ける必要があった。

学制改革で旧制から新制に転換する際、旧制高等学校のように新制大学の教養部や各学部に再編されるのではなく、従来の実績を踏まえながら、大学の中核となる学生を育成する附属の高等学校として生まれ変わり、現在に続いている。1949年、新制'''早稲田大学附属早稲田高等学院'''が発足、1950年、'''早稲田大学高等学院'''に改称。1956年、上石神井に移転。2010年、'''早稲田大学高等学院中学部'''を新設開校。

組織

学校法人早稲田大学直属の附属校であり、大学学部・大学院などと同等という位置付けである。卒業生は原則として全員が早稲田大学の各学部へ進学できるため、全国でも屈指の受験難易度である。早稲田大学の附属校として他に早稲田大学本庄高等学院(埼玉県本庄市、1982年開校、2007年共学化)がある。また、早稲田大学の附属高校(高等学院と本庄高等学院)は他の系属校に比べて大学への進学枠が多く、ほとんどの学院生は希望の学科へ進学する。

なお、学校法人が異なり、学校法人早稲田大学とは「系属校」という形で連携する学校がある。下記系属校は早稲田大学が設置したものではないため、いずれも本校と直接的な関係はない。
・ 早稲田中学校・高等学校
・ 早稲田実業学校
・ 早稲田渋谷シンガポール校
・ 早稲田摂陵高等学校
・ 早稲田佐賀中学校・高等学校
旧制以来の伝統を受け継ぐ大学直属の高校として、高大一貫教育を掲げている。

大学の一箇所という位置付けのため、高等学院の生徒証は早稲田大学の学生証とほぼ同じである。早稲田大学図書館での入館証・利用者カードとして用いることができるほか、敷地内の関係者以外立ち入り禁止の部分も大学のキャンパスと同様である。校舎についても大学の一部であり、大学の他キャンパス(1号館から始まる早稲田キャンパス、30号館から始まる戸山キャンパス、51号館から始まる西早稲田キャンパス)に倣い、建物には通し番号(70号館から始まる校舎番号)が割り振られている。

校風

極めて自由である。制服として学生服が存在しているが、高校のみ私服通学との選択制である。下駄、サンダル、半ズボンでの通学が禁止されている他には、特別に校則はない。毎日のショートホームルームはなく、清掃は大学と同様に専門業者が行うため生徒による清掃活動もない。

中学部

早稲田大学初の直系附属中学校となる高等学院中学部を、2010年度に新設することが2008年7月19日に正式発表された。中学部を含む高等学院新校舎の着工は同年8月とし、生徒数は1学年4クラスの120人とされた。また、中学部初の入学者を迎える2010年度から高校募集枠を480人に、2010年度入学の中学部生が高校1年になる2013年度からは360人に減らし、中高全体で1800人の定員を保持することとした。

校地の由来

上石神井の現校地は、1477年(文明9年)に太田道灌が石神井城攻めの際に築いた陣城と伝承の残る愛宕山塁の跡に当たる。平成4年に学校施設建て替えのために発掘調査が行われ、コの字形の堀が発見された。愛宕山城から石神井川を挟んで約700m離れた岡に石神井城がある。愛宕山城は、立地から見て石神井川源流や南方台地を監視するためにまずは石神井城の支城として築かれたと考えられ、のちに石神井城を包囲した太田道灌の陣城として再利用したと推測される。

当地には1929年(昭和4年)に大正大学の前身の一つである智山中学校・智山専門学校が京都から移転し、1943年(昭和18年)まで置かれた。戦後、東京外事専門学校(現:東京外国語大学)が戦災で失われた校舎の代替として智山中学校の一部を借用し、1949年(昭和24年)まで使用した。高等学院も上石神井移転直後は智山中学校の一部校舎を継続して使用した。

教育理念

都の西北
紺碧の空
早稲田大学の一員として、早稲田大学'''建学の精神'''に基づく。

なお、大学の一箇所であるため、校歌は大学と同じ「'''都の西北'''」である。また、応援歌も大学と同じ「'''紺碧の空'''」である。

カリキュラム

旧制以来の伝統として第二外国語が必修であり、ドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語のいずれかを1年次より履修する。中学部の生徒は3年次よりドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語を3ヶ月ずつ学習し、それらを参考に高等学院での第二外国語を選択する。

2005年度より開始された総合的な学習の時間では、2年次には学術研究の手法やプレゼン、引用手法を学習し、3年次には個人で決定したテーマについて12,000字程度の卒業論文の執筆が課されることとなった。卒業論文については、早稲田大学進学のための条件となっている。

進級

卒業し、所定の基準を満たせば早稲田大学への内部進学が原則として保証されるが、期末試験・学年末試験で然るべき成績であること、出席日数を満たすことなどが条件。成績は各科目100点満点で表され、50点未満は赤点となる。なお、6単位分以上の赤点を取った場合と、一年間の総合平均が60点を下回った場合留年(原級留置)となるとされる(赤点が6単位分の場合は総合平均62点未満が留年対象。これらは学習指導要領の改訂や授業時間数の変更などにより、随時基準は変更されている)。

課業

始業は朝8時40分だが、一時期1年生と2年生は10時40分始業の日が存在した。しかし、2013年度からの学習指導要領改訂に伴う新カリキュラムへの移行により、再び登校時間は一律8時40分となった。

1コマ50分で、終業は15時00分。朝、および帰りのホームルームは行われず、週1回、授業1コマを使ってロングホームルームが行われるが、開始時間は教員の打ち合わせにより20分程度遅れるため実際にはホームルームは30分程度で終了することもしばしばある。土曜日は4コマの授業のみで終業する。

特色

2006年度から2017年度までは文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに、2014年度から2018年度まではスーパーグローバルハイスクールに指定されていた。

日本医科大学への進学


高等学院からは高校3年間で所定の成績を修めることで早稲田大学への内部進学が可能であるが、2名を上限に日本医科大学への進学枠も設けられている。早稲田大学に医学部はないため、医学を志す在学生には従来は他大学の一般受験を余儀なくされていたが、これにより新たな選択肢が得られている。

中学入試

募集定員は男子120人、入試科目は、国語・算数・社会・理科の4科目、面接(本人のみ、グループ)で合否が判定される。

高校入試

自己推薦と一般入試の2つのタイプがある。
・ 自己推薦では、募集定員は男子約100人(100人を目安に選考)。自己推薦書類(問に回答する形の調査書、中学校作成の調査書、活動記録など)をもとにした個別面接で合否が判定される。
 個人面接では生徒1人に対して3人の教員が面接を担当する。
・ 一般入試では、募集定員は男子260人、入試科目は、英語・数学・国語・小論文で合否が判定される。一般入試の試験日は2月11日、合格者発表日は2月15日である。試験は高等学院ではなく、早稲田大学早稲田キャンパスにて実施される。また合格者発表は掲示は行われず、早稲田大学WEBサイトのみである。

高等予科時代

・ 1899年(明治32年)- 東京専門学校、英語政治科および文学部文学科・史学科に高等予科を設置。
・ 1900年(明治33年)- 高等予科を一旦廃止し、改めて大学部の予備門に位置付けて新しく設置する(修業年限1年半)。
・ 1903年(明治36年)- 第一(政治経済学科)、第二(法学科)、第三(文学科および高等師範部)、第四(商科)高等予科に分けられる。
・ 1907年(明治40年)- 高等師範部のための第五高等予科が、第三高等予科より分離して発足。
・ 1908年(明治41年)- 第五高等予科、学内の制度変更により、新設された理工科併置となる。
・ 1916年(大正5年)- 「第○」高等予科の名称を、高等予科「第○部」に改める。
・ 1917年(大正6年)- 修業年限を2年に延長。
・ 1918年(大正7年)- この年より中学校卒業者に入学試験を課す。

旧制高等学院(大学予科)時代

・ 1920年(大正9年)- 早稲田大学高等予科を'''早稲田大学附属早稲田高等学院'''に改め、当時の東京府東京市牛込区戸山町(現:早稲田大学戸山キャンパス)に開校。
・ 1921年(大正10年)- 高等学院を第一部(3年制・文科と理科)・第二部(2年制・文科のみ)の2部制にする。
・ 1922年(大正11年)- 第一部・第二部をそれぞれ'''第一早稲田高等学院'''・'''第二早稲田高等学院'''に改組。第一高等学院は戸山、第二高等学院は大学構内に置かれた。
Gallery
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第一高等学院校舎(現・戸山キャンパス).jpg第一早稲田高等学院
第二高等学院校舎(旧13号館).jpg第二早稲田高等学院
第一早稲田高等学院の講義風景.jpg第一高等学院の講義風景

・ 1945年(昭和20年)- 空襲により戸山の第一高等学院校舎全焼。千葉県佐倉町(当時)の連隊跡地への移転が検討されたが、翌1946年(昭和21年)に断念した。
・ 1949年(昭和24年)- 第一・第二高等学院、最後の修了式を挙行、修了生は4月開校の新制学部の第3学年に進学し、第1・2学年修了生はそれぞれ新制学部の第1・2学年に移行。

新制高等学院時代

・ 1949年(昭和24年)- 学校教育法に基づく新制高等学校として、'''早稲田大学附属早稲田高等学院'''が発足。
・ 1950年(昭和25年)- '''早稲田大学高等学院'''へ改称。
・ 1956年(昭和31年)- 現校地である練馬区上石神井の地に移転、現在に至る。同地は旧智山学園から大学が1954年に購入した。
・ 2010年(平成22年)- '''早稲田大学高等学院中学部'''を新設開校。
・ 2014年(平成26年)- 第二期改築工事が終了し、講堂および体育施設棟が完成。

部活動

漕艇部(ボート部)は1993年の全国選抜で舵手付きフォアで優勝、夏のインターハイでも3位入賞した(翌1994年にも全国選抜で4位になり、2006年に12年ぶりに全国選抜4位となった)。また、2007年に行われた秋田わか杉国体に12年ぶりに出場し入賞、2012年東京国体で東京選抜として舵手付きクォードとダブルスカル(本所高校との混成)の2種目で優勝した。新制高等学院の開校の年から存在する部活動である。

弓道部は、2006年に個人競技で、2011年に団体競技でインターハイに出場。全国選抜大会には2009年に個人競技で、2015年、2016年に団体競技でそれぞれ出場するなど、東京都トップレベルの実力を有する。2013年には関東個人大会で優勝、2015年には東日本大会で団体ベスト8に進出した。

ヨット部は2001年から2006年までの6年連続で国体東京都少年男子FJ級代表に選ばれている。

軟式野球部は全国屈指の強豪校として全国大会に度々出場し、2010年度の秋季関東大会ベスト16。
2013年度には、春季関東大会準優勝・全国大会ベスト8、国体準優勝を果たした。
2014年度には、春季関東大会ベスト4・全国大会ベスト16。
2016年度には、秋季関東大会ベスト16・春季関東大会ベスト4・全国大会準優勝・国体準優勝を果たした。
2017年度には、秋季関東大会ベスト8・春季関東大会ベスト8・全国大会ベスト8・国体ベスト8を果たし、また秋春夏東京3連覇も達成している。
2019年度には秋季関東大会ベスト16・全国大会ベスト16。
2021年度には春季関東大会ベスト16。
2022年度には春季関東大会ベスト16・全国大会ベスト16。
2023年度には秋季関東大会ベスト16・春季関東大会ベスト8を果たした。

硬式野球部は2010年(第92回)、2023年(第105回)全国高等学校野球選手権西東京大会でベスト4になっている。

有志の活動

・ 生徒自身の手による課外活動(高等学院では「科外活動」と称される)が盛んであり、その代表例が、2000年に生徒有志によって発足した「'''環境プロジェクト'''」である。環境プロジェクトは、年2回行われている「高校生環境フォーラム」の中心的な存在であるだけでなく、2002年には「高校生環境連盟」を発足させ、活動の幅を広げている。
・同校では、他校の生徒会執行部に相当する「中央幹事会」が活動を行っている。2016年度までは中央幹事会が中心となり、他校の高校生を招いた「招待討論会」を年に一回実施していた。また、青山学院高等部・日本女子大学附属高等学校の各校生徒会と合同で「WAN」と呼ばれる、大学付属校の高校生を中心とした討論会の運営の中心を担っていた。
・ 年1回発行で、学校生活に関する特集やアンケートなどが組まれる『学院雑誌』(「学雑」とも)は約70年の歴史を有し、教員からは存在意義が疑問視されているものの、生徒らの手によって作成され続けている。企画立案から記事執筆、DTPデザイン、予算執行に至るまですべて生徒の手によって行われる。校内誌としての規模やクオリティは日本一と目され、高校生の域を逸脱している。学内図書館では第1号からのバックナンバーを読むことができる。
・ 2005年、TBS系列で放映されたテレビ番組「学校へ行こう!MAX」での企画「文舞両道フリツケ甲子園(2005年9月6日O.A.)」においては、有志がダンスユニット「'''早稲6(ワ'''セ'''シ'''ックス''')'''」を結成している。

クラブ(体育部門)

ボート部(漕艇部)、ラグビー部、水泳部(水球部門)、水泳部(競泳部門)、サッカー部、バレーボール部、バスケットボール部、軟式庭球部、硬式庭球部、軟式野球部、硬式野球部、グランドホッケー部、競走部、卓球部、柔道部、剣道部、弓道部、ハンドボール部、ヨット部、米式蹴球部、ワンダーフォーゲル部、空手部、フェンシング部、ゴルフ部、スキー部、バドミントン部、洋弓部、つり同好会、吹奏楽部

クラブ(文化部門)

語学部英語班、語学部仏語班、理科部生物班、理科部物理班、理科部化学班、理科部地学班、美術部、グリークラブ、写真部、演劇部、映画研究部、雄弁部、鉄道研究部、ラス・ギタルラス、将棋部、囲碁部、フォークソング部、室内合奏団、漫画研究会、コンピューター研究部、文芸同好会、ジャグリング部、ロシア語同好会、歴史探究同好会

中学部のクラブ活動

野球部、サッカー部、バレーボール部、バスケットボール部、剣道部、語学部、理科部、グリークラブ、吹奏楽部、鉄道研究部、コンピュータ研究部

行事


高等学院の主な行事は「'''学院祭'''」・「'''体育祭'''」・「'''学芸発表会'''」である。高3次の修学旅行は存在しないが、学年別の校外学習がある。

その他


・ 高等学院にはプールが存在しない。かつて2010年ごろまでは存在していたが、体育の授業で使わないことと、管理に手間がかかることから取り壊され、現在はハンドボールコート(北側)になっている。また、この取り壊しは水泳部(水球・競泳)の2つの部活が存在しているのにもかかわらず学校の判断で行われた。
・ 現在、水球部は早稲田大学戸山キャンパスの高石記念プールと、所沢キャンパスの早稲田大学アクアアリーナを大学側から借りて練習を行っている。競泳部門も一応は残っているが、練習は行っていない。各自部員はスポーツクラブに所属し、大会だけ高等学院の名前を冠して出場するのみである。
・ また、大学の施設を借りて練習を行っている部活は他にアメフト部、グランドホッケー部が挙げられるが、どちらも早稲田大学東伏見キャンパスである。
・時々、教員の学会出席などのために授業が休みとなることがある。通常これを大学では休講というが、本学院では'''代講'''という。
・ 運動系の部のチーム名がほぼ全て「'''Big Bears'''」なのは、「Big Bear」→「大きい熊」→「大熊」→「大隈」と創立者大隈重信にかけているのだと言われている。この名称は、大学での運動系の部活やサークルでも用いられることが多い。
・ 最寄りバス停は西武バス「早稲田高等学院」。車内案内の英語表示は「WASEDA KOTOGAKUIN Sr.high.&Jr.high.」と中高併設である旨が分かるようになっていたが、2019年4月の内容更新により「Sr.high.&Jr.high.」表記は消滅した。

交通アクセス


・ 西武新宿線「上石神井駅」から徒歩7分

関係者一覧


早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧

関連書籍


・ 早稲田大学高等学院編『三十周年記念誌:1979』1980年発行
・ 早稲田大学高等学院編『継承そして創造:五十年の軌跡-未来に向けて』1999年発行
・ 早稲田大学高等学院米式蹴球部OB会編『半世紀の道のり:早稲田大学高等学院米式蹴球部50年史』2000年発行

関連人物


・ 難波田史男 - 同校の卒業生で画家。彼の日記などを編纂した「終着駅は宇宙ステーション」に高校時代のことが著されていた。

外部リンク


早稲田大学 高等学院
早稲田大学 高等学院 中学部
〜%E5%88%A5%E5%B7%BB%E2%85%A1/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%B7%A8%E3%80%80%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0 早稲田大学百年史 別巻〜/第二編 第一章
愛宕山塁
・ 早稲田大学高等学院・中学部

歴代学院長


旧制(第一高等学院)
#中島半次郎 / 1920年3月 - 1926年3月
#野々村戒三 / 1926年3月 - 1940年7月
#原田実 / 1940年7月 - 1945年9月
#岡村千曳 / 1945年9月 - 1946年9月 ※第二高等学院長兼務
#渡鶴一 / 1946年10月 - 1949年3月
旧制(第二高等学院)
#杉山重義 / 1922年4月 - 1925年9月
#定金右源二 / 1925年10月 - 1926年3月 ※学院長代行職
#宇都宮鼎 / 1926年3月 - 1934年3月
#杉森孝次郎 / 1934年4月 - 1944年4月
#赤松保羅 / 1944年4月 - 1945年9月
#岡村千曳 / 1945年9月 - 1946年9月 ※第一高等学院長兼務
#竹野長次 / 1946年10月 - 1949年3月
新制
#竹野長次 / 1949年4月 - 1954年10月(1962年7月25日没)
#樫山欽四郎 / 1954年10月 - 1960年10月(1977年8月7日没)
#高木純一 / 1960年10月 - 1962年10月(1993年10月29日没)
#岡田幸一 / 1962年10月 - 1970年11月(1999年3月5日没)
#高橋赳夫 / 1970年11月 - 1974年11月(1978年5月14日没)
#長島健 / 1974年11月 - 1980年11月(1996年11月1日没)
#濱部憲一 / 1980年11月 - 1986年11月
#飯島洋一 / 1986年11月 - 1988年11月
#本庄昭三 / 1988年11月 - 1992年11月
#淺沼正明 / 1992年11月 - 1998年9月
#伴一憲 / 1998年9月 - 2002年9月
#大井恒昭 / 2002年9月 - 2004年9月
#山西廣司 / 2004年9月 - 2016年9月
#本杉秀穂 / 2016年9月 - 2021年3月
#武沢護 / 2021年4月 -

出身者


(一)印のある者は旧制第一高等学院出身、(二)印のある者は旧制第二高等学院出身、(高予)印のある者は高等予科出身を表す。

退学者も含んでいる。

政界

・赤松広隆 - 衆議院議員、衆議院副議長、立憲民主党、中学校は東海中学校
・石橋湛山 - 元内閣総理大臣(高予)
・伊藤忠彦 - 衆議院議員、自民党
・宇佐美登 - 元衆議院議員、民主党
・風見章 - 衆議院議員、元内閣書記官長、元司法大臣(高予)
・久野統一郎 - 元衆議院議員、自民党、元郵政大臣久野忠治の長男 - 高1の時に私立東海高校(愛知県)より転校
・河野洋平 - 衆議院議員、衆議院議長、元自民党総裁、副総理
・住博司 - 衆議院議員、自民党
・高橋勝浩 - 東京都稲城市長
・竹下登 - 衆議院議員、自民党、元内閣総理大臣(一)
・長谷川信 - 参議院議員、自民党、元法務大臣(一)
・松岡満寿男 - 衆議院議員、参議院議員、満鉄会理事長、松岡洋右の甥(一)
・宮崎謙介 - 元衆議院議員、自民党
・杉島理一郎- 元埼玉県議会議員、埼玉県入間市長

官界

・遠藤茂 - 元駐サウジアラビア特命全権大使、元外務省審議官
・北原安定 - 日本電信電話公社副総裁、逓信官僚
・山崎岳人 - 財務官僚、弁護士

法曹

・大塚和成 - 弁護士、二重橋法律事務所
・野元学二 - 弁護士
・舛井一仁 - 弁護士、芝綜合法律事務所

実業界

・相田雪雄 - 元野村證券会長(一)
・秋草直之 - 富士通代表取締役会長、社団法人電子情報技術産業協会会長
・石井敬太 - 伊藤忠商事社長
・出井伸之 - ソニー最高顧問、日本経団連副会長、クォンタムリープ代表取締役ファウンダー&CEO
・井深大 - ソニー創業者(一)
・稲嶺一郎 - 琉球石油(現りゅうせき)創業者、参議院議員、南満州鉄道出身(一)
・海老沢勝二 - 元NHK会長、元アジア太平洋放送連合会長
・和田繁明 - 元西武百貨店社長、同会長、元そごう社長、元ミレニアムリテイリング社長、会長
・角川歴彦 - 角川グループホールディングス代表取締役会長兼CEO
・木下斉 - エリア・イノベーション・アライアンス代表理事、内閣官房地域活性化伝道師
・隅修三 - 東京海上ホールディングス取締社長(代表取締役)、東京海上日動火災保険取締社長(代表取締役)、ロンドン名誉市民
・斎藤十一 - 新潮社顧問、『藝術新潮』『週刊新潮』『FOCUS』の創刊者(一)
・高橋正 - 広島銀行会長
・神谷秀樹 - ロバーツ・ミタニ・LLC創業者
・中島聡 - 元マイクロソフト、Windows 95・Windows 98・Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクト
・八田竹男 - 元吉本興業社長(一)
・兼子眞 - チェッカーモータース創業者
・村上太一 - リブセンス創業者、代表取締役
・小暮真久 - TABLE FOR TWO International創設者、代表理事
・佐々木卓 - TBSホールディングスおよびTBS代表取締役社長
・大野暉 - サイバーセキュリティクラウド代表取締役社長
・中村行宏- 元テレビ神奈川代表取締役社長

学界

・小松芳喬 - 早稲田大学名誉教授、日本学士院会員、イギリス経済史学(一)
・千葉眞 - 政治学者、国際基督教大学教授
・西江雅之 - 言語学者、文化人類学者、早稲田大学名誉教授
・西川潤 - 経済学者、早稲田大学名誉教授
・福井文雅 - 東洋学者、早稲田大学名誉教授
・村井資長 - 元早稲田大学総長、早稲田大学名誉教授(一)
・柳谷晃 - 数学者、早稲田大学複雑系高等学術研究所研究員
・大門毅 - 経済学者、早稲田大学国際教養学部教授
・入江啓四郎 - 法学者、ジャーナリスト
・上村達男 - 法学者、早稲田大学法学部教授、同学部長
・島田陽一 - 法学者、早稲田大学大学院法務研究科教授
・秋山靖浩 - 法学者、早稲田大学大学院法務研究科教授
・松澤伸 - 法学者、早稲田大学法学部教授
・石山修武 - 建築家、早稲田大学理工学部教授、日本建築学会賞(作品賞)
・岩田孝 - インド哲学・仏教学者、早稲田大学文学部教授
・大濱信泉- 元早稲田大学総長 法学者(高予)
・西原博史 - 憲法学者、早稲田大学社会科学部教授
・箱井崇史 - 商法学者、早稲田大学法学部教授
・依田憙家 - 早稲田大学名誉教授
・苦瀬博仁 - 東京海洋大学理事・副学長、教授
・林洋次 - 早稲田大学教授
・山路平四郎 - 国文学者、早稲田大学名誉教授(一)
・藤田尚志 - 免疫学者、京都大学ウイルス研究所教授
・洞富雄 - 歴史学者、早稲田大学教授(一)
・中村星湖 - 文学者、山梨学院短期大学教授(高予)
・石川恒夫 - 建築家、前橋工科大学大学院准教授
・佐藤巧 - 建築学者、建築史家、東北大学名誉教授(一)
・十河佑貞 - 歴史学者、早稲田大学教授(高予)
・相田慎一 - 経済学者、専修大学名誉教授
・大野實雄 - 法学者、早稲田大学教授(二)
・川口浩 - 経済学者、早稲田大学名誉教授、元早稲田中学校・高等学校校長
・紅野謙介 - 日本近代文学研究者、日本大学文理学部特任教授
・笠原博徳 - 情報科学者・世界コンピュータ学会2018年会長・早稲田大学副総長(2018年-2022年)・早稲田大学理工学術院教授
・宮坂力 - 化学者、桐蔭横浜大学医用工学部特任教授、東京大学先端科学技術研究センターフェロー

メディア

・和田信賢 - NHKアナウンサー / 終戦詔書を放送(二)
・池宮城秀意 - ジャーナリスト、琉球新報会長(一)
・大谷昭宏 - ジャーナリスト
・軽部真一 - フジテレビアナウンサー
・高木大介 -フリーアナウンサー、 元テレビ愛知アナウンサー
・高野孟 - ジャーナリスト、インサイダー編集長
・露木茂 - 元フジテレビアナウンサー、ニュースキャスター、上智大学文学部新聞学科教授
・永井公彦 - STVテレビアナウンサー
・福井慶仁 - フジテレビアナウンサー
・古澤琢 - テレビ朝日元アナウンサー
・栗田晴行 - NHKアナウンサー
・島村俊治 - 元NHKアナウンサー

・本田親男 - ジャーナリスト(高予)
・弓館小鰐 - 新聞記者(高予)



文化・芸能

・相原英雄 - 事業家、映画プロデューサー、テレビプロデューサー、映画監督
・青島幸男 - 作家、タレント、元東京都知事
・浅井博章 - DJ
・東秀紀 - 作家、都市・建築史家、東京都立大学教授
・石川達三 - 小説家、芥川賞(二)
・井上純一 - 俳優、タレント
・稲森宗太郎 - 歌人(一)
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・加藤武 - 俳優、文学座前代表
・五味康祐(中退)- 小説家、芥川賞(二)
・今官一 - 小説家、直木賞(一)
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・さねとうあきら - 児童文学作家、劇作家
・三笑亭笑三(中退) - 落語家、落語芸術協会常任理事(二)
・関屋晋 - 合唱指揮者(二)
・清水敬一 - 合唱指揮者
・嶋田洋一 - 俳人(二)
・田岡典夫 - 小説家(一)
・立花ハジメ - アーティスト
・田中英光 - 小説家(一)
・谷中敦 - 東京スカパラダイスオーケストラ
・大門正明 - 俳優
・津川雅彦(中退) - 俳優
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・中村八大 - 作曲家(一)
・難波田史男 - 画家
・西川箕乃助 - 日本舞踊家
・丹羽文雄 - 小説家(一)
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・深町幸男 - 映画監督、紫綬褒章(一)
・藤田宜永 - 小説家、直木賞
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・古澤健 - 映画監督
・火野葦平 - 小説家、芥川賞、日本芸術院賞(一)
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・町山智浩 - 映画評論家
・丸山豊(中退) - 詩人(一)
・丸林久信 - 映画監督、脚本家、文筆家(二)
・宮岡太郎 - 映画監督
・本〜克樹 - アイドル、歌手、俳優
・森繁久彌 - 俳優(一)
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・山本薩夫 - 映画監督(一)
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・杉山直 - 新朗読家、フリーアナウンサー
・富家哲 - アーティスト
・川口大輔 - アーティスト
・一木広治 - TOKYO HEADLINE社長 二十一世紀倶楽部事務局長
・金子光晴(中退) - 詩人(高予)
・大手拓次 - 詩人(高予)
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・葉山嘉樹(除籍) - 作家、プロレタリア文学(高予)
・牧野信一 - 小説家(高予)
・前田晁 - 小説家(高予)
・和田傳 - 作家(高予)
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・宮内悠介 - 作家
・山本祥彰 - YouTuber、QuizKnockライター
・高野秀行 - 探検家、ノンフィクション作家
・奥野奏 - YouTuber、SHOEBOYS代表

スポーツ

・安倍昌彦 - スポーツライター
・植芝吉祥丸 - 合気道二代目道主(一)
・大西鐡之祐 - 元ラグビー日本代表監督、元早大ラグビー部監督(一)
・小川良樹 - 下北沢成徳高等学校バレーボール部監督
・川本泰三 - 元サッカー日本代表、同監督、元日本サッカー協会理事(一)
・近藤貴司 - サッカー選手、愛媛FC
・相良南海夫 - 元三菱重工相模原ダイナボアーズ監督、元早大ラグビー部監督
・佐藤次郎 - テニスプレイヤー、ウィンブルドン(1933年)、全仏(1933年)、全豪(1932年)ベスト4。世界ランキング3位(高予)
・高石勝男 - 水泳選手、1928年アムステルダムオリンピック800mリレー銀・100m自由形銅メダリスト、元日本水泳連盟会長
・伊達正男 - 元アマチュア野球選手、野球殿堂(特別表彰)(二)
・谷訯 - 水泳選手、メルボルンオリンピック日本代表
・西大立目永 - 早稲田大学名誉教授、元アマチュア野球審判員、全日本野球会議審判技術委員長
・藤田明 - 元日本水泳連盟会長、1932年ロサンゼルス五輪水球日本代表選手主将兼コーチ(一)
・堀江忠男 - 早稲田大学名誉教授、経済学者、元サッカー日本代表(一)
・森徹 - 元プロ野球選手、元中日ドラゴンズ
・村形繁明 - 元サッカー審判員、第1回日本サッカー殿堂入り、元三井物産カルカッタ支店長(一)
・吉岡信敬 - 早稲田大学応援隊長、「虎鬚彌次将軍」(高予)

その他

・難波大助 - 虎ノ門事件の首謀者
・上祐史浩 - 宗教団体ひかりの輪代表
・広瀬健一 - 宗教法人オウム真理教元幹部
・松村久義 - 政治活動家
・村田春樹 - 政治活動家

'''早稲田大学高等学院生殺人事件'''(わせだだいがくこうとうがくいんせいさつじんじけん)とは、1979年(昭和54年)1月14日に東京都世田谷区在住の早稲田大学高等学院1年生が祖母を刺殺した家庭内殺人事件。

犯人がエリート一家に育ち、マスコミ宛に殺人計画のシナリオや大衆を憎む遺書や録音テープなどを残して自殺したことで話題になった。

概要


1979年(昭和54年)1月14日正午ごろ、東京都世田谷区の自宅で高校1年生の少年が、金槌、ナイフ、錐などで祖母を殺害した。殺害後に犯人は逃走して、殺害現場から2キロメートルほど離れたビルから飛び降りて自殺した。犯人の部屋には朝日新聞、毎日新聞、読売新聞にあてた遺書が残されていた。

残された遺書は、量的には大学ノート40ページ、400字詰め原稿用紙に換算すれば94枚ほどであり、6章で構成されていた。遺書の約7割は大衆・劣等生のいやらしさと祖母に関する事柄で占められていた。また、1977年の開成高校生殺人事件(親が子を殺害)や若者の自殺などについても触れられていた。

犯人は幼少時より、同年代が集まる場で馴染めずに孤立しがちであった。そして小学校の道徳の時間には、質問に対して模範的な回答ではなく偽悪的な回答を、それに憧れたように他の級友と共に回答していた。このようになったのは勉強ができるということだけを、人間の価値を図る基準としていたためであると見られた。

犯人の母親はよく言われる教育ママではなく、それとは反対に自分のやりたい事をやる事を願っていた。だが祖父と父親は大学教授であり、子供も同じようになるべきであるという空気が家庭にはあった。そして祖母が、犯人に対しては祖父のような人物となることを望み、祖母が全てをこの一つの理想の価値にするための手段としていた。犯人は両親と妹とともに数年前から、母方祖父母が同居用に建てなおした家で暮らしていたが、事件の1年ほど前に両親が離婚し、父親は家を去っていた。

遺留品


朝日、毎日、読売新聞の三紙に宛てた大学ノート40ページ分(400字詰め原稿用紙約100枚相当)の遺書があり、「大衆・劣等生のいやらしさ」「祖母」「母」「最近ふえはじめた青少年の自殺について」などと題された7章で構成されていた。そのほかに犯行の動機と計画を語った録音テープ、実行のためのシナリオなどが遺されていた。それらによると祖母だけでなく、家族皆殺しのあと、億単位となる通帳や証券を焼き捨て、その後家を出て行きずりの「大衆」を無差別に殺して「ざまあみろ」と書かれたビラを撒き、この大量殺人を道連れに自殺する、とあった。

事件後


遺書に犯人が愛読していた筒井康隆を思わせるくだりがあり、事件一か月前に完結した筒井の小説『大いなる助走』が影響を与えたのではないかと当時話題になり、1979年の『現代思想』での対談で、筒井自身が「ぼくははっきり自分の影響だと思ってます」「文学は社会にとっての毒である」と述べた。事件後に刊行された筒井の『宇宙衛生博覧会』(1979年)の帯には、「18歳未満お断り!我慢できずに読んでしまった人へ。人殺しだけは絶対にしないでください。あとでこの本のせいにされても責任はもちかねます」と書かれた。

また、犯人の母親で被害者の娘であるシナリオライターの朝倉千筆はこの体験に基づき、朝倉和泉名義で『還らぬ息子 泉へ』(中央公論社、1980年)『死にたいあなたへ』(中央公論社、1981年)を上梓した。


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